犬が自身の、あるいは周囲の緊張を和らげるために見せる行動を、カーミングシグナルと言います。 他の犬や人間に対して「攻撃する気はないよ」「落ち着いて」と伝えるための合図のようなもので、ストレスや不安を感じている時ほど顕著になります。
カーミングシグナルは、ノルウェーの動物学者、Turid Rugaas氏によって体系化され、1990年代からの研究を経て、現在では世界中の犬の専門家から広く認められています。
カーミングシグナルが現れる背景
犬は群れで生活する動物として進化してきました。そのため、争いを避け、平和な関係を維持する本能を持っており、その本能は、個体の生存と繁殖に結びつきます。
カーミングシグナルは、こうした周囲との良好な関係を維持するための、いわば「犬語」として発達したと考えられています。 例えば、目をそらす、尻尾を低く垂らす、体を低くする、あくびをする、舐めるといった行動は、相手に攻撃意図がないことを伝え、緊張を緩和させる効果があります。
また犬同士だけでなく、人間に対しても用いられ、犬が人間とのコミュニケーションを円滑に進める上で重要です。 犬のカーミングシグナルを理解することは、犬の気持ちを理解し、より良い関係を築くための第一歩と言えるでしょう。
犬の目は感情の窓と言われるほど、多くの感情を表現する器官です。飼い主が理解しやすい部分でもあるため、まずは目のシグナルから詳しく見ていきましょう。
ゆっくりとしたまばたきは、最も穏やかなカーミングシグナルです。まるで人間がウインクするような動作で、相手に対する親しみを表します。緊張した場面で見られることが多く、特に見知らぬ人や犬に出会った際によく観察されます。
通常よりも早い瞬きは、緊張や不安を示すサインです。見知らぬ場所や新しい状況に遭遇した時に現れやすく、心拍数の上昇や呼吸の変化をともなうことがあります。こうしたサインが見られたら、少し距離を置くなどの配慮が必要です。
正面からの視線は、犬同士では威嚇とも取られかねません。そのため、友好的な意思表示として目線を逸らす行動を取ります。飼い主が叱ったときにも見られる行動ですが、これは挑戦的な態度ではなく、むしろ緊張を和らげようとする努力の表れです。
白目を見せる行動は、状況によって解釈が異なります。リラックスした状態での軽い白目は問題ありませんが、極端に白目が増える場合は強いストレスのサインとなります。特に、他の緊張のサインと組み合わさっている場合は要注意です。
口周りの動きは、非常に繊細で多様なメッセージを含んでいます。些細な変化も見逃さないよう、注意深く観察することが大切です。
唇をなめずる行動は、最も一般的なカーミングシグナルの一つです。緊張や不安を感じた時に現れ、特に見知らぬ人や犬との出会いの場面でよく見られます。短時間で繰り返す場合には、強いストレスを感じていると言えます。
口角を引っ込める、または唇を強く締める、歯を食いしばるなどの変化は、緊張状態を示す可能性があります。 これらの変化は、通常の状態と比較することでより明確になり、耳の位置や目の表情と合わせて観察することで、犬の心理状態をより正確に読み取ることができます。
他の犬との出会いなどで、相手が興奮したり威嚇的な態度をとったりする場合、自分の口をゆっくりとパクパクさせることで「敵意はない」「リラックスして」というメッセージを送ります。 これは、人間が笑顔を見せるような効果があります。
短時間で舌を出し入れするしぐさは、緊張や不安のサインです。特に頻度が多い場合は、強いストレスを感じている可能性があります。一方で、暑さや運動後の体温調節である場合も多いため、状況判断が大切です。
あくびには、睡眠欲求以外の意味があります。緊張を和らげようとする時や、不快な状況から気を紛らわせようとする時に見られます。特に、短時間で複数回のあくびが見られる場合は、強いストレスを感じている可能性が高いでしょう。
耳の動きは、犬の心理を読み取る上で、大切な手がかりとなります。
10.耳を後ろに引く
耳を後ろに引くしぐさは、緊張や不安をあらわす代表的なサインです。通常は前を向いている耳が、徐々に後方へ移動する様子が見られます。これは、相手に対して攻撃的な意図がないことを伝えるシグナルです。特に見知らぬ犬や人との出会いの場面で頻繁に確認されます。
耳が完全に倒れるしぐさは、より強い不安や緊張をあわします。一時的でない場合には、慢性的なストレスを抱えている可能性もあります。普段の耳と比較しながら、変化を確認しましょう。
耳をわずかに動かす行動も、カーミングシグナルの1つです。周囲の音や動きに対して敏感に反応している状態を示し、警戒心や不安を感じている証拠となります。特に、短時間での頻繁な動きは、強いストレスのサインとして捉える必要があります。
体の動きは、最も分かりやすいカーミングシグナルの一つです。全身を使った表現方法について、詳しく見ていきましょう。
伸びは、リラックスした状態で見られる自然な行動ですが、緊張を解きほぐすためのカーミングシグナルである場合も少なくありません。特に、ストレスフルな状況の後に見られる伸びは、気持ちの切り替えを行っていると考えられてます。
体を低くする行動は、相手に対して威圧感を与えないようにするしぐさです。散歩中に見知らぬ犬に出会った際や、大きな音に驚いた時などに見られます。ただし、過度に低い姿勢は強い恐怖をあらわしている可能性があります。
伏せの姿勢の意味は、状況によって変わってきます。くつろいだ状態での伏せと、緊張や不安からの伏せは、体の硬さや耳の位置などの違いで判断できます。特に、急な伏せは強いストレスのサインとして注意が必要です。
寒さ以外の原因による震えは、強い不安やストレスのサインです。興奮や恐怖による震えは、他のカーミングシグナルと組み合わさって現れることが多く、早急な対応が必要な状態を示しています。
犬の体の中でも尻尾の動きは、感情を読み取るうえで、特に重要です。振り方や位置によって、さまざまな感情を読み取ることができます。
尻尾を下げる行動は、不安や緊張状態を示します。通常の位置よりも明らかに低い位置にある場合、何らかのストレスを感じている可能性が高いです。特に、体の下に巻き込むような状態は、強い恐怖をあらわすサインです。
尻尾を脚の間に挟み込む行動は、もっとも強い不安や恐怖をあらわすカーミングシグナルです。頻繁に見られる場合、もしくは長期化する場合には、すぐにストレス要因から遠ざける必要があります。原因の特定の改善が求められます。
尻尾の振り方には、喜びやリラックスした状態を示すものと、緊張や不安を示すものがあります。ゆっくりとした大きな振り方は、落ち着いた状態を示しますが、小刻みで素早い振り方は、緊張や警戒心のサインとなります。
前足や呼吸、行動パターンなど、これまで触れていなかったカーミングシグナルについて詳しく見ていきましょう。
前足で見られるカーミングシグナルは、繊細な感情表現を示すことが多いです。前足を舐める行動は、不安やストレスを感じた時によく見られます。特に、普段舐めないところを頻繁に舐める場合には、強い緊張状態にあることを意味します。
また、前足を軽く持ち上げるしぐさは、相手に対する緊張や警戒心を表現しています。特に見知らぬ犬や人との出会いの場面で多く見られます。
呼吸の変化もカーミングシグナルの一つです。軽いはぁはぁした呼吸は、必ずしも暑さや運動による体温調節だけではありません。緊張や不安を感じた時にも同様の呼吸パターンが見られます。特に、室温が高くない状況でのはぁはぁした呼吸は、精神的なストレスのサインである可能性が高いです。呼吸の速さや深さ、継続時間などを観察することで、ストレスのレベルを判断することができます。
顔をそむける行動は、直接的な対峙を避けようとする穏やかなカーミングシグナルです。相手に対して敵意がないことを示すと同時に、緊張を和らげようとする意図も含まれています。ただし、極端に顔をそむける場合や、長時間その姿勢を維持する場合は、強い不安や恐怖を感じている可能性があります。
犬が2頭の仲間の間に割って入るのは「このままだとケンカになっちゃうかも」と心配しているからです。近くにいる犬同士の雰囲気が怪しくなってきたとき、それを察知して自ら仲裁に入るのです。まるで私たちが「喧嘩はよくないよ」と間に入るように、犬も仲間同士の平和を守ろうとします。
地面のにおいを嗅ぐ行動は、一見普通の行動に見えますが、状況によってはカーミングシグナルとなります。特に、緊張場面で見られる場合は、その場の雰囲気を和らげようとする試みです。また、他の犬との出会いの場面で見られる場合は、直接的な対面を避け、緊張を緩和させる役割を果たしています。
興奮や高揚感を抑えるための行動として、「まるでその場にいないかのように振る舞う」ことがあります。これは、カーミングシグナルの一つです。周囲を無視しているように見えるかもしれませんが、実際は自分の感情の昂ぶりをコントロールするために、あえて無関心を装っているのです。
突然止まったり、走ったりする場合には、不安やストレスのサインとなります。特に、普段は見られない行動パターンの変化には、注意が必要です。例えば、通常は活発な犬が急に静かになったり、おとなしい犬が落ち着きなく動き回ったりする場合は、何らかのストレス要因が存在する可能性があります。
犬が本来したい行動を制止されると、代わりに別の行動をとることがあります。これは、叱責などによって抑圧された欲求やエネルギーを、別の行動で発散させようとするためです。例えば、おやつをねだる行動を叱られた犬が、代わりにソファーで落ち着いて寝転がる、おもちゃで遊ぶ、散歩を要求するなど、エネルギーを消費する代替行動をとることがあります。これは、ごまかしというより、ストレスや興奮を軽減するための、いわば犬なりの対処法と言えるでしょう。
犬がカーミングシグナルを示さない場合、いくつかの理由が考えられます。これは決して珍しいことではなく、飼い主さんの理解と対応が重要です。
犬にとってカーミングシグナルは大切なコミュニケーション手段です。しかし、犬がカーミングシグナルを表現しなくなる原因として、飼い主が犬のサインに気づかず、犬の意思に反する行動を続けることで、犬が「伝わらない」と諦めてしまうケースがあります。これは、人間が何度も無視されるとコミュニケーションを諦めるのと同じです。
また、過剰なストレスも大きな原因の一つです。強いストレス下では、どのシグナルを出せば良いのか分からなくなり、パニック状態に陥ることもあります。長期間ストレスの多い環境に置かれたり、助けを求められない状況にある犬に多く見られます。
カーミングシグナルは、犬の生まれ持った習性ではありますが、常に発現するとは限りません。飼い主が犬の気持ちを理解し、適切な対応をすることで、犬はより安心してカーミングシグナルを示せるようになります。
犬がカーミングシグナルを示さない場合、まず、ストレスの原因となる環境要因がないかを確認することが重要です。騒音、過密な環境、脅威となる存在など、犬にストレスを与える可能性のある要素を排除しましょう。
さらに、カーミングシグナル以外の行動変化、例えば食欲不振や睡眠障害なども注意深く観察し、これらの変化はストレスや病気のサインである可能性があることを考慮する必要があります。 心配な場合は、獣医や動物行動学者に相談しましょう。
専門家のアドバイスを受けることで、適切な対応策を見つけることができます。 犬の気持ちを理解し、安全で安心できる環境を整えることが、犬が快適に生活し、カーミングシグナルを自然に表現できるようになるための鍵です。
カーミングシグナルは、ただの感情表現に留まらず、身体の不調のサインとしても重要です。早期発見によって深刻な病気を防ぐことができる場合もあります。
突然のカーミングシグナルの増加や、これまで見られなかった行動の出現は、体調の変化を示している可能性があります。特に、食欲の変化や睡眠パターンの乱れを伴う場合は、注意が必要です。早期発見が、重症化の予防につながります。体調不良は、初期段階では微細な行動の変化としてのみ現れることがあります。
例えば、いつもより水を多く飲む、特定の姿勢を避ける、普段の遊び方が変わるなど、些細な変化にも注意を払うことが大切です。これらの変化を見逃さないためにも、日常的な観察が重要となります。
長期的なストレスは、免疫力の低下を引き起こし、さまざまな病気のリスクを高めます。継続的なカーミングシグナルの確認は、慢性的なストレス状態を把握する重要な手段となります。定期的な健康診断と合わせて、健康管理を心がけましょう。
慢性的なストレスは、消化器系の問題や皮膚疾患、さらには行動異常にまで発展する可能性があります。特に、家族構成の変化など大きく環境が変わる場合には、愛犬の様子を入念に確認する必要があります。
カーミングシグナルに気づいたら、生活環境の見直しや運動量の調整など、予防的な対応を検討します。また、健康診断を受けることで、健康問題を早期に発見できる可能性が高まります。予防的な対応には、適切な栄養管理や運動計画の見直しも含まれます。ストレス要因を特定し、可能な限り取り除くことで、愛犬の健康を維持できます。定期的なグルーミングや歯のケアなども、予防的なケアとして重要です。
カーミングシグナルの記録は、愛犬の健康管理においてとても大切です。具体的な方法について見ていきましょう。
カーミングシグナルの種類、頻度、強度、発生状況などを記録することで、パターンや傾向を把握しやすくなります。スマートフォンのメモ機能や専用のアプリを活用するのも効果的です。特に、時間帯や場所、周囲の環境、天候なども含めて記録することで、ストレス要因の特定がしやすくなります。また、写真や動画での記録も、少しの変化を見逃さないために役立ちます。
犬の行動記録は、定期的に見直すことで、長期的な変化や傾向を把握できます。 例えば、月に一度記録を確認し、季節の変わり目や生活環境の変化後などは、より入念に確認しましょう。月単位での記録は、季節性や加齢による変化を捉えるのに役立ちます。 見直す際には、カーミングシグナルの頻度だけでなく、新しいシグナルの出現にも注目しましょう。 例えば、毎日記録をつけ、それをまとめて月1回、分析を行うのが効果的です。
家族全員で記録を共有することで、より多角的な視点から愛犬の状態を把握することができます。また、対応の一貫性を保つことも重要です。家族それぞれが異なる時間帯で愛犬と接することで、24時間を通じた状態の変化を把握することが可能になります。また、家族全員が同じ基準で観察し、記録することで、より正確な情報収集ができます。定期的な家族会議を設けて情報を共有するのも効果的な方法です。
カーミングシグナルの理解を深め、より専門的な知識を得たい方には、諒設計アーキテクトラーニングが提供する「犬猫ストレスケアアドバイザーW資格取得講座」がお勧めです。この通信教育プログラムでは、在宅で学びながら専門的な知識を身につけることができます。
講座では、犬と猫のストレスケアに関する包括的な知識を学ぶことができます。特に、ストレスの原因となる環境要因や、行動学的な観点からの分析方法、適切なケア方法などについて、実践的な知識を習得できます。また、カーミングシグナルの詳細な解説や、実際の事例に基づいた問題解決方法なども含まれています。
資格取得をすることで、飼い主としての知識が深まるだけでなく、ペットショップやトリミングサロン、動物病院などでの活動にも活かすことができます。また、地域のペット関連コミュニティでアドバイザーとして活動することも可能です。近年増加している飼い主のストレスケアへの関心に応える、重要な役割を担うことができます。
まとめ
カーミングシグナルは、愛犬からの大切なメッセージです。27種類ものシグナルを全て理解し、適切に対応することは、簡単ではありません。しかし、日々の観察を通じて少しずつ理解を深めていくことで、愛犬との信頼関係はより強固なものとなります。特に重要なのは、犬の個性を理解し、その子なりの表現方法を把握することです。気になる変化があれば、早めに専門家に相談し、必要に応じて対策を講じることが、愛犬の幸せな生活につながります。カーミングシグナルを確認することは、飼い主と愛犬の絆を深める機会にもなります。ぜひ本記事を参考に愛犬のしぐさを観察してみてください。